@どら焼きパンケーキ中佐-第弐14教夜桜-コトブキアズレン部のブログ

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2019-11-07から1日間の記事一覧

厳選!この武将が歴史の分岐点ランキング2

弐位 『武田信繁』武田信玄の実の弟にして家中随一の副将。 武田四天王の一人が「真の副将とは典厩信繁をおいて他無し」 と称えたほどである。 武田信繁は第四次川中島合戦で本陣を守り討死するが、もし存命ならばどうだったであろうか? まず、信玄の嫡男・…

厳選!この武将が歴史の分岐点ランキング

※個人の見解です。実際の武将などの史実・能力に確たる可能性を見出せるとは限りません。壱位 『豊臣秀長』 言わずと知れた豊臣政権№2にして秀吉に物申せる絶対唯一の存在。 「内々の議は宗易(千利休)、公の議は宰相(豊臣秀長)」 と言う言葉が残るほど彼…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)27

列伝其の二十七『安国寺恵瓊』(1600年)関ヶ原合戦が行われた。儂のついた西軍が敗れあえなく儂は捕縛された。 かつて織田信長の凋落を見抜いた儂の慧眼は機能しなくなっていたようだ。 六条河原まで引き回された三成殿、行長殿そして儂の三人はここで斬首…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)26

列伝其の二十六『山縣昌景』(1575年)設楽ヶ原に於いて勝頼様は織田・徳川連合軍との戦に及んだ。三方ヶ原で徳川家康に痛打を与えた武田の精鋭部隊が織田の究極の鉄砲戦術の前に散々に打ち負かされた。 「勝頼様。このままではいたずらに兵を失い将も失いま…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)25

列伝其の二十五『穴山梅雪』 儂は武田家を裏切り織田方へついて生き延びる道を選んだ。勝頼に仕えて共に滅びる気など毛頭なかった。 (1582年)遂に甲斐武田家は名実ともに滅亡した。 そして同じ年に更なる激震が起こる。自らを第六天魔王とまで称した織田信…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)24

列伝其の二十四『織田信忠』(1582年)本能寺が急襲されたと報せが入った。明智光秀めが謀反を起こしおったのだ。愚か者めが!急ぎ本能寺に救援に向かう! と息巻いたが多勢に無勢、三度押し返したが耐え切れなくなり二条城に逃げ延びたが、もう選択肢は残さ…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)23

列伝其の二十三『明智光秀』(1582年)本能寺の朝は静けさと共に訪れた。上様(織田信長)いや今これから襲おうとする人物との主従関係など関係ない。 「敵はこの本能寺にあり!かかれっ!」 明智の桔梗紋の旗がたなびく中、信長の首を探し回りはしたものの…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)22

列伝其の二十二『飯富虎昌』 もはや若(武田義信)とお屋形様(武田信玄)の双方のすれ違いの溝は修復不能なまでに悪化している。 今川を攻めたいお屋形様と今川から輿入れした正室を持つ若とでは、根本的な部分で相いれないのだ。利を優先するか義を持って…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)21

列伝其の二十一『小山田信茂』(1582年)儂は勝頼さまを裏切り織田方についた。程なくして天目山・田野に於いて勝頼様・信勝様ら主従が自害・討死された。 その後、恩賞を与えると織田信忠様より呼び出しを受けた私に待っていたのはろくでもない話であった。…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)20

列伝其の二十『甘利虎泰』(1548年)儂(甘利虎泰)と板垣信方はまだ若いこれからの時代の武田家をお守りすべく捨て石となりて散る覚悟を決めた。 「板垣、これが今生の別れじゃな。」 「なぁに甘利、冥土ですぐ会うではないか。」 「左様じゃな。それではお…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)19

列伝其の十九『板垣信方』(1548年)お屋形様(武田晴信のちの信玄)は焦っておられる。村上義清風情に何故かように押され武田が守勢に回り敗色濃厚であることがだ。将の器とはいえまだお若いのだ。 しかし、お屋形様を擁立し信虎さまを追放することに加担し…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)18

列伝其の十八『真田信繁』(1615年)大坂の冬の戦が終わり夏に入ったこの戦いは余裕を持って生き永らえたい徳川方と豊臣家と共に身果てるまで戦いその中から何かを見出そうとする豊臣方とくっきりと色合いが見えてきていた。 私とて真田の名に恥じぬ戦に憧れ…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)17

列伝其の十七『長宗我部盛親』(1615年)大坂城が落城した。名実ともに豊臣は滅びたが、儂には長宗我部家再興こそが悲願である。その日叶うまで死ねぬ。 儂さえ生きていれば落ち延びさせた者達の旗印に儂はなれるのだ。 しかし、天は儂を見限ったのだろう。…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)16

列伝其の十六『足利義輝』(1565年)松永久秀らの刺客が向かっているのは既に知っていた。我とて足利将軍家にして数々の兵法家らに剣を学びその腕を評価されているのだ。生きおおせるとは到底思えぬが、剣豪として後世に名が刻まれるよな武者ぶりを見せて死…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)15

列伝其の十五『石田三成イシダミツナリ>』(1600年)関ヶ原に我等西軍と、憎き徳川家康との決戦が繰り広げられている。両軍ひしめく中で、戦局を揺るがす大惨事が起きた。小早川秀秋の裏切りである。 「刑部(大谷吉継)すまぬ!」 程なくして大谷刑部吉継自刃の報…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)14

列伝其の十四『柴田勝家』(1583年)上様に猿だの禿ネズミだの言われていた『羽柴秀吉』に賤ヶ岳における戦いに敗れ北ノ庄城に儂は追い込まれていた。 「お市様、子らを連れて落ち延びてくだされ。」 「なりませぬ。子らは落ち延びさせまするが二度も夫が自…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)13

列伝其の十三『陶晴賢』 主君である大内義隆を自害させた私は、その甥である晴英様を擁立した。私はその後見に収まった。しかし安芸の毛利元就が我に刃を向けた。元就は突然に厳島に宮尾城を築城を開始する。今、宮尾城を攻められれば万に一つも勝ち目はない…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)12

列伝其の十二『龍造寺隆信』(1584年)儂は島津方についた有馬晴信率いるおよそ5千の軍勢が待ち受ける、沖田畷へ6万近い大軍で攻め込んだ。しかし島津の伏兵が待ち伏せていた。ならばと敵中へ押し進み追撃したがそれも間違いであった。もはや逃げることも叶…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)11

列伝其の十一『夏目吉信』(1572年)殿(徳川家康)はあの武田信玄に三方ヶ原で一戦に及ばれた。戦巧者の信玄は我々徳川勢を翻弄し散々に打ち負かされた。血気盛んな殿はここで討死される覚悟をなされたようだがそれだけは殿とはいえ許されない。 「殿のお命…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)10

列伝其の十『山本勘助』(1561年)「我が策やぶれたか!」 啄木鳥戦法は上杉謙信には通じなかった。眼前に迫る上杉軍を目の当たりにした我は呆然と立ち尽くす他なかった。 しばらくして戦況は悪化し、お屋形様の実弟・典厩信繁様までもが討死される事態とな…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)9

列伝其の九『織田信長』 (1582年)本能寺にて余が目を覚ますと何やら外が騒がしい。 「乱(森乱丸)何事であるか!」 昨夜は色々と楽しんだだけによく眠れていない。その上目覚めが悪い。 「惟任日向守(明智光秀)様謀反に御座います。」 「ほぅ。金柑頭が…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)8

列伝其の八『高橋紹運』(1586年)島津の軍勢が我が岩屋城に迫った。敵軍およそ5万に対して我が方はおよそ760名程であった。いかなる名将もこの状況では勝つのは不可能であろう。しかし、我が方の覚悟と意地を見せつけ玉砕して果てるには丁度よかろう。岩屋…

戦国武将討死列伝(自害・刑死アリ)7

列伝其の七『鬼庭良直』 (1585年)大殿(伊達輝宗)の弔い合戦を行うべく殿(伊達政宗)は二本松城を攻められた。しかし、城はなかなか落ちずに時が流れ二本松城支援の連合軍3万が我等に迫ってた。殿は二本松城に備えの兵を残して7千の兵を率いて戦いに向か…

リッタちゃん1stライブコンサート 【あけましておめリッタ~♪】妄想SS

今日はカナリア事務所の新人アイドルのリッタちゃんの1st元日ライブコンサート【あけましておめリッタ~♪】の初日です♪リッタ「みんな~~~♪あけましておめリッタ~♪」 観客「おめリッタ~♪」 レオナ「おめリッタ...///♪」 リッタ「それでは、早速一曲聴い…