列伝其の八『高橋紹運<タカハシジョウウン>』
(1586年)島津の軍勢が我が岩屋城に迫った。敵軍およそ5万に対して我が方はおよそ760名程であった。いかなる名将もこの状況では勝つのは不可能であろう。しかし、我が方の覚悟と意地を見せつけ玉砕して果てるには丁度よかろう。岩屋城の後ろには立花城がある。ここを通すわけにはいかん。なんとしてでもここで足止めをして見せようぞ。
島津軍の降伏勧告を退け、
「戦にて勝敗を決しましょうぞ。」
と、添えた。
島津軍は相当に我らを舐めてかかっていたようだ。
「島津の兵に我らの底力見せてやれ!」
攻め上る敵に鉄砲や弓を浴びせ、岩や大木を落として応戦して敵方にかなりの打撃を与えた。
しかしながら10日程経過するにつれ兵たちにも疲弊が見え始め城の外郭が突破された。既に城兵の生き残りは僅か50名。
「皆よく戦ってくれた。既に死んだ者たちこれから死を遂げる者たち全ての者たちに感謝する!」
私が頭を垂れると兵たちは涙を隠さなかった。
「これより私は腹を切る。逃げたと思われるは武門の恥辱である。故に戦場で死んだ証にする為あえて我が首を敵に取らせよ。」
と申し伝えた私は刃を腹に突き立て勢いよく掻っ捌いた。
『高橋紹運』討死