列伝其の十七『長宗我部盛親<チョウソカベモリチカ>』
(1615年)大坂城が落城した。名実ともに豊臣は滅びたが、儂には長宗我部家再興こそが悲願である。その日叶うまで死ねぬ。
儂さえ生きていれば落ち延びさせた者達の旗印に儂はなれるのだ。
しかし、天は儂を見限ったのだろう。逃亡中に潜伏していた所で探索に見つかり捕縛されてしまった。
伏見城に連行された儂は将軍秀忠に、
「なにゆえに死を選ばなんだ?」
と問われたので、
「一手の大将が軽々しく死んではならないからである。生きて兵を集め恥辱をすすぐためだ。」
と答えた。
その後、儂は六条河原で斬首と決まった。 処刑の日が来た。
「長宗我部家を再興させたかった…」
斬
『長宗我部盛親』刑死