列伝其の十五『石田三成イシダミツナリ>』
(1600年)関ヶ原に我等西軍と、憎き徳川家康との決戦が繰り広げられている。両軍ひしめく中で、戦局を揺るがす大惨事が起きた。小早川秀秋の裏切りである。
「刑部(大谷吉継<オオタニヨシツグ>)すまぬ!」
程なくして大谷刑部吉継自刃の報せが入った。
これを契機に西軍は崩れ雲散霧散の体をなして潰走を始めた。その最中に持ち場を守り続けてくれた島左近が討死とも行方が知れないとも伝わる報せが入った。
「左近殿。貴殿の言うがままに従えば豊家が内府(徳川家康)に蹂躙されることはなかった。儂には武将としての才がなかったのだ。許せ。」
私は逃亡の末に捕縛された。市中を引き回され三条河原に連れて行かれた。首を刎ねるためである。
「喉が渇いた。水分が欲しい。」
「干し柿ならあるが?」
「干し柿は痰の毒故に悪い。」
「これは傑作!これから首を刎ねられる者が痰の毒を気にして如何する?」
「将は首を刎ねられる寸前まで可能性を信じるのだ。」
「笑止!」
斬
『石田三成』刑死