列伝其の十一『夏目吉信<ナツメヨシノブ>』
(1572年)殿(徳川家康)はあの武田信玄に三方ヶ原で一戦に及ばれた。戦巧者の信玄は我々徳川勢を翻弄し散々に打ち負かされた。血気盛んな殿はここで討死される覚悟をなされたようだがそれだけは殿とはいえ許されない。
「殿のお命は殿ご自身のみのお命にあらず。殿は浜松城にお退きくだされ。それがしは殿の身代わりとなりて追っ手を引き受け致す!」
嫌がる殿の馬を強引に浜松城に向け走らせた。これで後顧の憂いは無い。
「我こそは、徳川家康なり!いざ尋常に勝負せよ!」
『夏目吉信』討死