列伝其の一『今川義元』
『海道一の弓取り』と民や近隣諸国から称されるようになった。我は駿河、遠江、三河の三国の太守となったのだ。我が師、太源雪斎殿がご存命ならばさぞやお喜びくだされたであろう。しかし、師はもはやこの世のお方ではない。
(1560年)5月、尾張攻めの為に25,000の兵をもって攻めこんだ。松平元康は良く働いた。
「尾張のうつけはまことにうつけよ」
我が戯れ言を口にして間も無くして織田の軍勢が迫って来るではないか!
本陣は混乱しており、我の指揮を聞ける余裕などあるまい。
我は武門の将である。後世の者はなんとでも言うがよい。
「我は今川義元である!この首欲しくば参れ!」
奮戦の後、槍に貫かれた。
「雪斎殿にあわす顔がないわ...」
『今川義元』討死