九位
『真田昌幸』
真田ファンなら大概ご存知の上田合戦で徳川の大軍を二度蹴散らした張本人。
徳川サイドの黒歴史の象徴的人物。
徳川家康が三方ヶ原で武田信玄に敗れたことはまだ箔がつくが、
大名の徳川家康の配下が真田昌幸に敗れたことは威厳にかかわる痛恨であった。
真田昌幸がもう少し長生きならば大坂の陣では絶大な発言力を発揮して、
淀殿などの豊臣家一同に渇をいれたに違いない。
昌幸の軍略と真田信繁父子の働きが大坂の陣で繰り広げられたら、
大坂の陣だけなら勝てたかもしれない。
が、滅亡しないためには関ヶ原の恨みには眼を瞑り、
豊臣恩顧の東軍諸将を好条件で重用して、
再び豊臣の天下に変わったことを世間に知らしめなければならない。
昌幸に余命の全てを後身の育成に注がせたならば、座学としては非常に臨場感溢れる
魅力的な講義がなされたかもしれない。
昌幸は後身の育成に尽力することでも、真田の力を天下に知らしめられたであろう。