二十四位
『加藤清正』
加藤清正が亡くなったのが1611年である。
享年50。
その数年もたたないうちに大坂の陣が始まるのでもっと長生きならばと、
豊臣家の立場から考えたならそう思わずにはいられない名将。
熊本城には豊臣秀頼の為の部屋が用意されていたとも伝わる。
タイミングが悪い故に毒殺説が今もなお囁かれている。
大坂方に清正がいたならば淀殿は清正を裏切者と罵るかも知れないが、
諸将は清正の武将としての力量に感じ入ったに違いない。
真田信繁は最大限の力を発揮させてもらえただろう。
そう考えたならば毒を盛りたくもなるが…