十九位
『石田三成』
日本史に残る一大短期決戦である、
『関ヶ原の戦い』
を計画して実行にこぎつけた人物である。
東軍の徳川家康と違って、三成が総大将にはなれなかったので、
毛利輝元を担いで形は作ったが決戦が関ヶ原になってしまったことが、
三成には既に誤算であり短期決戦になってしまったことや、
味方の裏切りなどの誤算も重なり、命尽きるまで戦って討死したのは、
盟友・大谷吉継のみであった。
三成が関ヶ原の戦いを引き起こしたからこそ、家康の天下取りが急加速したのである。
その意味では歴史の分岐点の一翼を担った武将と言って良いだろう。