列伝其の四『鳥居元忠』
殿(徳川家康)はもはや上様とお呼びせねばならない頂きへと登りつめようとされておられる。誠に感慨深きことだ。(1600年)殿の命に従わず直江兼続なる者の無礼千万な返書により、殿は上杉景勝に謀反の疑いありとされ、兵を挙げられた。
その際に殿は、「伏見城にて籠城を頼む」と私に命じられた。【城を枕に討死してくれ】という意味である。なんと名誉な役目であろうか!
「承知致しました」努めて冷静にお答えした。
殿が上杉攻めに向かうことを明らかに見込んだ上方の軍勢はたちまち伏見城を囲んだ。
「我らは殿の覇業の礎とならん!皆の者最後の一兵まで三河武士の意地を見せよ!」
「応!」
兵たちの果敢な抵抗もやがて力尽き、伏見城は紅蓮が炎に包まれた。
「我こそが徳川家康公が臣、鳥居元忠である。三河武士の魂思い知ったか!」
私は城内に戻り腹を切ることにした。
『鳥居元忠』自害