二十一位
『徳川(松平)信康』
長年にわたって信長の命令による自害で死を遂げたとされていたが、
信康は実際に謀反を起こそうとしていたらしく、
親父の家康は、早めに信康の謀反の芽を摘んだ。
結果として信康は自害に追いやられている。
嫡男が謀反を企てたことは、家康の黒歴史なので、
後の歴史書には松平信康と記されており、
徳川から格下げされている。
謀反が成功してしまった場合、信康が信長相手に上手く対処できていたかは怪しい。
それを踏まえると徳川家滅亡のフラグがたってしまい、
織田信長の格好の餌食と化してしまっただろう。
謀反の成否が歴史の分岐点だったかもしれない。